26歳で悪性リンパ腫になった生物系大学院生

しかも第4頸椎にできたおかげで首が動かない!

元がん患者と開示した上での新卒枠での就職活動の結果および考察

元がん患者と開示した上での新卒枠での就職活動の結果および考察

 

背景

今年の3月に大学院を卒業し,また3月で再発予防の抗がん剤も終了した. 今年はポスドクとして研究室に残るが,来年の予定は全くの未定である.

一般的に,AYA世代がん患者の就職活動は困難であるという. 本人の体力的・病状的な問題を雇用する側がリスクと捉えるのは当然である. 一方で,病人の立場からすれば,再発無くしばらく生き残ってしまった場合,あるいは再発はしても入院とまではいかなかった場合,経済的収入源・社会的接点を保つことは生きていく上でどうしても必要な要素になる.

私にとって選択肢は2つあった. 1つは研究者としてのキャリアを続け, つまり大学や公的な研究機関などのアカデミアと呼ばれる世界で働くこと. もう1つはアカデミア以外の仕事を探すことである.

              研究者としてそこまで優秀とは言えない私がアカデミアで働くということは,少なくともしばらくは(あるいは死ぬまで)非正規雇用で少ない賃金で更にそこから奨学金を返済して極めて少ない可処分所得の中で生きていくという,精神的にも体力的にも健康に悪そうな生活が続くことを意味する. 加えて, 自分の専攻は植物であるのだが,幾多の抗がん剤治療によって低下した免疫力では感染リスクが非常に高いため,植物を日常的に触るのは控えた方がよいと医師に勧められている。以上の理由により,私は人生の舵を少なくとも一旦は非アカデミア方面に取り,学界及び植物界を脱し,実業界あるいは官界に転進, あるいは戦略的撤退することを目論んだ.

 

目的

  1. 今回の就職活動の目的は, 「過度に残業の多くない会社ないし組織から内定を取得,できれば多少はこれまでの経験が活かせそうな仕事ならばなお良い」とした.
  2. 加えて, 今や立派ながん患者となった自分が内定を取得するためにどのくらいの労力が必要なのかということを, 今後の人生(大して長くはないだろうが)の参考のために体感しておくことも目的とした.

 

方法および結果

・転職市場ではなく新卒市場を優先

私は雇用契約を締結したことがないという意味では新卒(卒業後3年以内の既卒含む)採用の対象となりうる一方で, 職歴がついているという意味では転職市場への参入も可能であるという身分であった. 自分としては, いわゆる社会人としての自覚がゼロであり, 会社に入るなら新卒扱いを受けてみたいというところもあり, まずは春に新卒枠での就活を行い, すべて落ちてしまったら秋から冬にかけて転職活動, つまりは中途枠での就活を行うこととした.

             ただし, 既卒の就活は新卒のように枠が広くはない. つまり, 多くの企業が行う新卒採用の募集条件には, 「2020年3月卒業(修了)予定」と書かれており, 既卒はほとんど対象外である. ただ, 厚労省からの採用関連の通達を守る大手企業などは, 既卒も可(場合によっては就労経験があっても可)の会社もある. また, 当然といえば当然だが, 公務員系はこのルールを守っていないところは調べた限りではなさそうだった.

 

・大学のキャリアセンターは病人に公務員を勧める

情報収集の一環として, 3月の修了式前, つまりまだ学生の身分だった時に, 大学のキャリアセンターのアドバイザーにアポをとり, 自分の就活戦略についてのアドバイスを求めた. その結果, アドバイザーのかたは「前科歴のある人, 障がいのある人, 持病のある人の就活は非常に厳しいものがある」としたうえで「基本的には病気のことを隠して就活すべき」とのアドバイスをいただいた. さらに, 「障害のある人, 持病のある人は福利厚生を考えると公務員を勧める」とも仰っていた.

 

・春の新卒就活では病気を隠さないことにした

大学のキャリアセンターのアドバイザーのかたは、「病気であることを隠したとしても法律上は問題ない」と言ってくれた. しかし,民法でいうところの信義誠実の原則に触れそうで私は怖く, 少なくとも春の新卒枠での就職では, 病気については履歴書ないしエントリーシートに明記していくことにした.

 

・製薬業界および公務員(系)で就活

次に, どの業界を目指して就活をするかを考えた. そもそも病気にならなければ, 自分はアカデミアないし農業バイオ系業界に進みたいと思っていたが, 上述の体力的免疫的理由(あるいはそもそもの能力不足による見込みのなさ)から, これらの業界は避けた. 就職活動にあたっての自分の武器としては, 生命科学系での研究経験, 簡単な統計解析はできる, 昨年度の国家総合職試験に合格しているので官庁訪問が可能, だけであった. 

私が思いつくのは製薬業界であった. 幾多の抗がん剤治療をしてきた私としては,新薬を作ることに魅力を感じた. ただ, 製薬は薬学・医学の範疇であり, これまで植物を研究してきた私には創薬研究職の適性はほぼない. そこで, 開発職か薬事職での募集を調べた.

公務員のガイダンスにも参加した. 霞ヶ関の省庁の中でホワイトな職場として有名な官庁の説明会には何度か参加した. また, 製薬系と同じモチベーションで, 医療・健康系の独立行政法人の説明会にも参加した.

 

・実際の就活結果

エントリーシートを送ったor 面接を受けたのは,某官庁と医療・健康系の某独立行政法人および製薬会社2社だった. 某官庁については官庁訪問1日目で不採用となった. 医療・健康系独立行政法人からは内定をいただいた. 製薬会社2社のうち, 1社は書類選考で落ちた. 1社については面接試験まで進んだが, そのころ先述の独立行政法人に内定をいただいていたので辞退した.

 

考察

・当初の目的の達成の度合い

1つめの目的である, 過度に残業の多くない会社ないし組織から内定を取得,できれば多少はこれまでの経験が活かせそうな仕事ならばなお良い, であるが, これは概ね達成できたと思われる. 現在の主治医の後輩が内定先に勤めていたことがあるそうだが, 少なくとも医師として働くよりは全然楽な職場であるとのことである(そもそも医師が大変すぎるのであまり参考にならないが). 転職サイトの評判でも1日の残業時間は1-2時間といったところなので, 現在の労働時間よりも少ないと期待している. また, これまでの経験を活かせそうかという観点では, 広く考えて生物系の知識は活かせそうと言うことと, 患者としての経験も活かせそう, また統計についてはそのまま活かせそうなのでクリアしていると思っている.

2つめの目的については, まず, 就活においては東京に住んでいるか否かが非常にクリティカルな要素であると感じた. 特に, (元)がん患者を受け容れる体力のある企業ないし公的機関は多く東京に集まっている. たとえば自分が札幌に住んでいたとしたら, 今回の就活と全く同じ組織を受けていたとしたら, 札幌-東京間の往復にかなり疲弊していたと思う. つまり, 就活における体力問題に関しては, 身も蓋もないが東京に住んでいることによって大幅に労力を短縮できた, という結論になる.

加えて, 昨今の就活における売り手市場が私にも恩恵をもたらしたのかも知れない. いわゆる就職氷河期時代であったら, 絶対就職できなかっただろうと思う. 現在所属している大学の研究室のM2やB4のかたたちも, 名だたる一部上場企業から内定を得ている. その流れが(元)がん患者にも恩恵をもたらしたような気がする.

              つまり, 2つめの目的に関していえば, 就職活動先の組織と現住所との距離, およびそのときの社会の景気に大きく左右されるような気がした(あまり良い考察になっていないので書き直すかも知れない).

 

・病気であることを隠さなかったことが不合格となった理由になったとは思えない

不合格となった2つの組織を含め. 病気であると開示したことによる不利益な扱いを受けているとの印象はなかった. まず, 最初に書類で不合格になった某製薬会社であるが, もしかしたらこれは病気と書いたことが大きく悪い方向に響いたのかも知れないが, それよりも昨今はやりの動画選考なるものの失敗が大きかったように思う. 部屋で上半身だけスーツを着て, パソコンのディスプレイの上にあるカメラを見つめて指定された質問に答えていく, というものなのだが, 愛想良くテンポ良く話すのが非常に難しかった. 提出書類自体の文章はよく推敲できたと思うのだが, この動画撮影にあまりに適応できなかった, というか, 必要な準備を怠ったのが不合格の理由だと思う.

また, 不合格となったもう1つの組織である某官庁であるが, 既合格者官庁訪問であまりに待ち時間が長く, 面接の最後のほうは完全に体力を失ってしまった. 志望度は高かったのだが, 面接4人目あたりから頭が回らなくなり, 5人目で「今いちばんしたいことはなんですか?」と聞かれた際は「(早く帰りたい. . .)」という気持ちが一番に出てきてしまい答えに詰まってしまった. 当然ながら落ちた.

 

・病気であることを隠さなかったことは結果的にプラスだった気がする

製薬会社と医療・健康系独立行政法人に対する就活において, 「自分が病気なので, 自分のように困っている人の助けになりたい」的な志望動機はおそらく受けがよかったように思う. 当然ながら健康リスクを自ら開示することにはなったが, そこも誠実さアピールとして転換できたかもしれない. さらに, 隠し事をしていることによる後ろめたさ的なものを感じずに就職活動できたのは精神安定のためにも良かったと思う. とはいうものの, 結局はサバイバーバイアスがかかっていると思うので, ほとんど参考にならない気がしてきた.

 

自家移植から1年経った感想(真菌性肺炎になったこと)

11月で大量化学療法と自家末梢血幹細胞移植から大体1年くらい経過しました. 去年の時点では, この先1年間も生き延びることができるなんて, 全然期待してなかったので, よかったなあぁとしみじみ思います.

 

真菌性肺炎での入院

そういえば, 9月頃に真菌性肺炎になって入院しました. 入院した当日, 実は京都での学会があり, 朝9時に東京駅集合だったのですが, 私は自分のポスターと一緒に研究室の准教授と留学生のポスターも預かっていたため, 自分は京都には行けないにしても彼らのポスターは何が何でも東京駅に届けなければならず, 39度台のフラフラな状態でポスターを届けた. 今思えば普通に家に取りに来てもらえばよかったと思います. 反省.

入院中は, 「ああ. これで死ぬんだな」と思いました. 何しろ. 連日40度越えの高熱にさいなまれたから, 「ああ. 抗がん剤して, 体力弱って, 肺炎になって死亡という, ありがちパターンだ」と覚悟を決めていました. けれどなんだかんだとブイフェンド(ボリコナゾール)という抗真菌剤が効いて, 復活することが出来ました. またしても母が北海道から来てくれ, 叔父家族もお見舞いに来てくださいました. 迷惑しかかけてない人生だ.

 

肺炎の原因の考察(植物 and/or エアコン)

おそらくこの肺炎の原因は, 学会シーズンの多忙による疲労と,もしかしたら植物の世話のし過ぎ and/or カビたエアコンだと思います. 私は植物の研究をしているのですが, そもそも自家移植をしているので, あまり植物を触ってはいけないと医師から忠告されていました. にもかかわらず, 多忙で疲労し, ただでさえ低下した免疫力がさらに低下した状態で植物を触り, 感染を招いたのかもしれません. そうだとしたらこの肺炎は完全に私のヒューマンエラーということになります.

また, 別の可能性としては, 夏の間のエアコンが私の部屋にカビの胞子をまき散らしていたというものです. 東京に見舞いに来てくれた母は私の入院中は私の部屋に滞在していたのですが, 「エアコンがかび臭い!」と主張し, エアコンの掃除屋を呼んでくれました. その結果, エアコンの中がカビだらけだったということが明らかになりました. 病院の先生や各種報道によると, 夏になるとこのエアコンのカビを原因とする肺炎が多発するそうです. みなさんも注意してください!

 

博論提出した

あと, 博士論文の提出にこぎ着けることができました!多くの人に迷惑を掛けまくって生きているので. 私に迷惑を掛けられている人たちに主張できる手柄?として. また冥途の土産に審査をパスしたいです. このさき何年かで死んでしまっても. そこそこの学術雑誌にそれなりの論文を発表できれば, どこかの誰かが「あいつの治療に使った国民の血税も少しは弁済されたかも」って思ってくれることを期待です.

 

来年はなんらかのかたちで就活をしないといけなくて辛いですが, それについて今は考えないこととします. . .

 

20190715

ですます調に変更し, 肺炎の原因の話を増やしました.

 

副作用(末梢神経障害)など

今年の夏はめちゃ暑いですね. 今年度は博士課程4年目になってしまい, すでに1年留年しているので, できれば卒業したいです. ので, 時間と体力を有効に活用して冥途の土産にも学位取りたいと思います.

 

追加の治療の経過と副作用

病気の再発・悪化の防止のため, 淡々と3週間に1回の維持療法を行ない, その後5日くらい具合悪い日々が続きますが, それ以外の日は少なくとも10時間/日くらいは労働できています. 副作用は, 手の指先の末梢神経障害が投与後の3日くらいは続きますが, 時間が経つと弱くなっていく感じ. しびれは蓄積しているのかもしれないけど, そこまで気にならないくらい(ものを落としたり, パソコンのキーボード入力に支障が出たり, ということもない). あと, 何故かわからないけど抗がん剤投与後の3日間はめちゃ眠い. 1日13時間くらい寝てる(研究室には午後だけ登校orお休みにしています). 学生というゆとり身分を最大限活用している感あります.

 

生き残った場合のリスク?ヘッジ

そういえば来年も生き残ってしまった場合の保険?として公務員試験受けてみたら結構よい席次で合格でき, うれしかったです. 来年はポスドクの予定なのでとりあえず今年は試験だけ受けました. 脳細胞が壊れすぎているということもなさそうでよかったです. ところで,「がんです」と面接前に提出するカードに書いておいたのだが, 面接の時に全く触れられませんでした. 官庁訪問前の人事院面接ではそういう病気のこととかは聞かないルールになっているのかもしれません.

 

20190715

ですます調にして一部校正しました.

東京への復帰と維持療法

東京に復活

1月末に東京に戻ることができました. 病み上がりの体力皆無状態での東京復帰はまさに過酷な戦いでしたが, 気持ち的には非常に前向きに取り組めました. 本当に久しぶりにすがすがしい気持ちになれました. 最初東京に戻るとき, 両親が一緒についてきてくれ, そのまま新しい部屋を決め, その後には妹も来てくれ引越しを手伝ってくれた. 頼りになるなあ.

 

研究室にも復活できました. もちろん以前のように1日に12時間以上働ける体力はないですが, なんとか日中は活動できている気がする. 誠にありがたい. 以前は体力勝負であまり生産性に目を向けていませんでしたが, 体力の無い今, とにかく生産性をあげるべく, 楽して成果を出せるように工夫するのが楽しいです.

 

現在の健康状態

現在の血の状態は, 白血球が3000から4000, 赤血球とヘモグロビンと血小板が正常範囲の下限値の90-95%くらいです. あと, 手元の血液検査結果の表にはないが, IgGがかなり少ないと言われました. つまり, 全体的に血は薄めで抵抗力が弱っているということです. とりあえずうがい手洗いと歯磨きと, 外出中と睡眠中は常にマスクをするようにしています. 今のところ風邪は引いてません.

 

追加の治療

ところで, 札幌のときに大変お世話になった主治医に, PRでの自家移植なだれ込みであることから維持療法という含みで某分子標的薬をしたほうがよい, と強くおすすめされたので, これを行ないうる病院を探し, そこに通うことになりました. まだ1回しかしていませんが, 今のところ目立った副作用はありません. しかし, これから回数を重ねるにつれて末梢神経障害は出てくるらしい. 自分の研究の実験でミクロトームで切片つくる等の細かい手作業をしているのですが, 末梢神経障害で手が動きづらくなる前に, 博論に必要な細かい作業の必要な実験を終わらせたい, と思っています.

 

依然として5年後の生存率はいま自分の周りにいる人たちと比べて有意に低いという事実が無邪気な前向きさや生への信頼感みたいなものを私の人生から奪ってはいるものの, とはいえ, 現在の状況は本当にありがたいと思います. 実験のデザインがどうだとか, 研究の方向性がああだとか, そういう他愛もない(と言っては不真面目に聞こえるが直ちには命に関わらないという意味で)ことに頭を悩ますことの出来る状況に乾杯!

いつ終わるかも知れないこの日常を大事に生きたい.

家族や友人や病院の方々や, 研究室の人たちに感謝だ.

 

ブログの上のほうに広告が表示される頃にまた更新して, 蓄積しているであろう維持療法の副作用についてでも書く(かも知れない).

 

20190715

ですます調に変更して一部校正しました.

大量化学療法後のPET-CTの結果と肺炎

初の寛解判定

自家移植後5週間後にPET-CTを撮りました. 結果は幸い, 第4頸椎へのFDG集積は有意ではなかった. リンパ腫の病変を疑うような別部位への集積もありませんでした. 遂に「寛解」の二文字を, 一時的なものであるかもしれないとしても, 得ることができました!

 

肺と胃へのFDG集積

しかし, 肺と胃にFDG集積が認められました. 実は, PET-CTを撮る前の1週間ほど, 右肺がゼーゼーしていて, 熱も出ていたのです.  予想通り, 肺炎になっているようでした. 胃については, 食欲不振などもなかったため, 思い当たる節は全くありませんでした. この肺炎らしき影と胃の集積を詳しく調べるため, PET-CTの結果を聞きに行ったその日に入院することになりました.

 

胃カメラ辛かった

胃のFDG集積について, 胃に炎症が起きているか否か, また炎症があった場合にそれはなんなのかを確認するための胃カメラと生検を行ないました. 結果, 胃にはまったく炎症はないことが明らかになりました. 検査を担当してくれた医師も「きれいな胃してますね」と褒めてくれた. PET-CTでは, 消化管の蠕動運動に応答してFDGが集積することがあるらしく, 今回の胃への集積はそれであろうという結論で, 胃に関しては無罪放免となりました. ただ, 胃カメラはめっちゃつらかったです. えずくと検査時間が長くなるから我慢してといわれても, そんなこと無理でした.

 

肺は器質化肺炎ということになった

肺のFDG集積について, 原因としては, 悪性リンパ腫の転移, ウイルス感染による肺炎, 細菌感染による肺炎, 免疫異常による器質化肺炎の可能性が考えられましたした. まず, 悪性リンパ腫の転移については, CT画像上での影がリンパ腫に典型的ではないということと, 第4頸椎以外にもかつてあった全身の転移については初回治療であるABVD療法の時点で全て消失させられているであろうということで, 完全に否定はできないものの有力候補からは除外されました. また, ウイルス・細菌感染については, サイトメガロウイルスマイコプラズマ, アスペルギルス, b-glucanなどはすべて陰性で, 血液培養でも特に何も検出されなかったということで, これらも原因の有力候補から除外されました.

消去法的に残されたのは, 自家移植後の免疫の異常による器質化肺炎でした. この可能性を検証するためには, 気管支鏡による検査やあるいは外科的に生検する必要がありますが, CT上で確認される影があるのは気管支鏡で届きにくい場所にあることや, 自家移植後の生着症候群がひどかったことなどからこの可能性の蓋然性が高いということから, 確定診断なしに, ステロイド剤(プレドニン)による免疫抑制を試みることになりました. その結果, 発熱と肺のゼーゼーが収まり, またレントゲン上での肺の影も薄くなったので, しばらくはこれで様子を見ようということとなり, 年の瀬ぎりぎりで退院できました. 2016年の年末は頸椎の後方固定術直後で, 病室で年を越したので, 家に帰れてとてもうれしかったです.

 

今後は1週間ごとに通院して, レントゲンを確認しつつ徐々にステロイドの量を減らすという方針になりました. 本来であれば, 器質化肺炎に対するステロイド剤投与は1ヶ月単位で減量していくものですが, 今回は自家移植後ということもあり, 免疫機能を落とし続けることのリスクを鑑みて, 通常より速いペースでステロイド減量をすすめることになりました. ステロイドが多いと感染が怖いので外出も不自由だし, 何より熟睡できないので, 自分としてもこれは都合がよかったです. とにかく肺が早く治って, それが少しの間だったとしても研究室に復帰してかりそめの研究生活を少し楽しみたいです.

 

2018年も当面はこのブログを続けていこうかと思っています. よろしくお願いします.

 

20190715

ですます調に変更しました.

自家末梢血幹細胞移植併用大量化学療法の経過と感想

血球の回復経過

大量化学療法(MEAM療法)の最後の抗がん剤であるアルケランの投与の翌日に自家末梢血幹細胞の移植を行ないました. 移植当日の白血球数は3000台. 移植から3日後に100で, その後しばらく0で, 移植後5日目からG-CSF製剤の注射(250µg/日)を開始, 10日目に700になり, 14日後に7000まであがり, その後は3000台で推移, 21日後に退院しました. 血小板も一時期2万を切りましたが, 退院の日には19万くらいまで回復しました. ただ, 血小板の減少がなかなかシビアだったので, 3回ほど輸血を受けてしまいました. 血小板の輸血は体に発疹がでやすいそうだが, そもそも血小板の輸血を受けるときは白血球が0か100とかだったので, そもそもアレルギー起こりようが無かったのが幸いしてか, 発疹は全くでることなく乗り切れました(基本的にアレルギーは白血球がないと起きません).

 

辛かった副作用その1---粘膜毒性

大量化学療法の副作用で一番気をつけていたのは白血球減少時の感染でしたが, 幸い感染は完封できました. しかし, 一番辛かったのは, あまり事前に注目していなかった粘膜毒性でした. とりあえず, 口の中から肛門までのすべての消化管の上皮が破壊されている感がすごくて, おなか痛すぎて辛かったです. 下痢もひどかったし(おむつ必須), 水を飲んでも吐くし, とくに何も口に入れなくても緑色の胆汁酸が出てくるしで, なんだかもう, ただひたすら耐え難きを耐えるだけの日々が5日間くらい続きました. 高カロリー点滴だけで生きていました. 高カロリー点滴の糖源がグルコースだけなのががん細胞を助長しそうで嫌だったのだが, 全く食べられないのだから, しかたがありません. BMIは16から15に減った(もともとガリガリなのが更に痩せた). 大量化学療法のときのおなかの痛さに対しては医療用麻薬を使ったりもするらしいのですが, 自分はトラマール/トラムセットやジプレキサザイティスというような中枢神経に効く系の薬の副作用で大変だったことがあるので, なるべく麻薬は使わないでがんばろうと思い, ロキソニンでお茶を濁して, 最後までロキソニンで押し切りました.

 

辛かった副作用その2---生着症候群による40度

また, 自家移植に伴う副作用に「生着症候群」というものがあるらしいのですが, 不勉強で全くのノーマークでした. これで大変な思いをしました. 具体的には, 生着したころに40度台の熱がでました. 吐き気も下痢もやっと落ち着いたと思ったら, 今度は高熱に襲われ, またしても食事ができない日々が続きました. 辛かったです. カップラーメンを食べまくるブログ, みたいなのをひたすら見てました. 当初は, 何らかの感染じゃないかということで, いろいろな抗生剤が投与されましたが熱は下がらず, CTを撮っても体に炎症はなさそうということで, 生着症候群?となり, あの有名なステロイド剤であるプレドニンを投与されました. その後, 全く熱が出なくなり, ようやく元気になることができました.

 

元気になった後は, 無菌室ライフをエンジョイし研究生活に復帰するぞという意気込みを体現すべく, ひたすら論文を書いたり図表を作ったりして過ごしました. MRIを撮ったのですが, 腫瘍は少なくとも悪くはなっていないだろう, という診断でした. 治療効果はともかく, ひとまずこの治療を生き残れたことに感謝したいです. 今月下旬にPET-CTを撮る予定です. 頸椎前面の腫瘍は放射線で焼き切れていると信じたい. 運命や如何に.

 

20190714

見出しを追加してですます調にしました.

放射線治療その2- 46Gy照射後の副作用とPET-CTとMRIでの評価と今後の予定

46Gyという照射量はホジキンリンパ腫にしてはなかなか多いのではないかと思います. 腫瘍を消すためになるべく多く照射したいけど脊髄には50Gy未満しか掛けられないから46Gyかな, ということで決まった照射量. 高まる線量, 高まる不安と二次発がんのリスク. 北海道はすっかり冬ですね.

 

放射線の副作用はなんだかんだつらかった

副作用ですが, 照射しているうちは喉がイガイガするくらいだったのが, 46Gyを終えて2日間ほど経ったあとから猛烈に喉が痛くなった. 飲み込むたびに涙が出るくらい. 痛み止めを飲もうかなと思ったけど, 「今日より明日の方が痛いときのために今日は痛み止めを飲むのを止めておこう」という謎の心理で結局, 飲みませんでした. 「こりゃ痛くてたまらんわ~」という時期は4日間くらい続き, その後は割とすぐ落ち着きました. 落ち着いてメタルキングを狩りまくりました. DS版DQ5の新キャラのデボラがあまりにも強い. . .

 

放射線治療の効果は上々だが. . .

PET-CTを撮りました. 小さくなっているものの, 頸椎前面の集積が認められました. よいニュースとしては, 全身の他の部位への転移を疑う集積はありませんでした. つまり, 部分寛解での状態で自家移植併用大量化学療法になだれ込む運びになりました. なだれ込み. 5年全生存率が20%弱のパターンです. 悟り. . .   

MRIでも, 頸椎前面の腫瘍的な信号は小さくはなっているものの未だに消失せず存在していました.

もちろん, 楽観的に解釈すれば, PET-CTでの頸椎前面の集積は放射線治療後の炎症で, MRIでの信号は消失過程にある信号を捉えたものと考えられなくもない. ただ今までの経過からしてそれは無理な解釈に思えます.

 

明日からめっちゃ抗がん剤やる!

明日から大量化学療法が始まる. 「移植前処置」はMEAM療法で行なうことになった. 非常にどうでもいいが, 「移植前」という言葉がつくと, 「移植こそがメインであり, 前処置はサブ」という印象になるが, これは移植による殺腫瘍効果が期待できる同種移植においては正しいものの, 抗がん剤自体の力を当てにしている自家移植併用大量化学療法については, 適切ではないと思います.

 

この前処置は, これまでに受けた治療の中で最も治療関連死の確率が高いので, 無菌室での個室ライフをエンジョイしつつ, なんとか生還したいです. 上手くいけば, 今回の特別国会が閉会するまでには, この大量化学療法のことを記事に出来るかもしれぬ. . .

 

20190714

見出しを追加してですます調にしました.