悪性リンパ腫で頸椎溶けたことなど。

ABVD療法で治らなかったタイプの20代ホジキンリンパ腫患者の記録

救援化学療法その1 -ESHAP療法の副作用と治療効果と感想-

5月末に再入院して、救援化学療法1)というものを開始しました。この救援化学療法の成績で5年生存率が40%ほど増減するようです2)

 

医師から、救援化学療法の具体的なレジメンとして採用する可能性のあるものとして3つ挙げられ(ICE、ESHAP、もう一つは何だったか忘れました)、そのうちのESHAPをまず最初に試すことになりました。ESHAPが選ばれた根拠は、3つのなかでESHAPがホジキンリンパ腫に対しては治療成績がよい、という結果の論文ないし報告があったからだそうです。

 

ESHAPはABVDに比べて長かったです。何が長いかと言えば、治療にかかる日数です。ABVDは外来治療だとだいたい4時間とかで終わりますが、ESHAPは5日間も抗がん剤の日々です。気が滅入りますね。しかも、神経障害(特に聴神経)、腎機能障害を起こすことで有名なシスプラチンも含まれています。白金製剤というやつです。腎機能は大事なので、シスプラチンの投与付近はとにかく水を多く飲みました。

 

副作用は、やはり吐き気と食欲不振は不可避でした。ただ、今回もABVDのときと同様に大量に吐き気止めを併用してもらっていたおかげか、実際に吐くことはなかったです。今回は、病院の売店で「のりたま」を買ってごはんに掛け、ごはんを味噌汁に突っ込み、とりあえず、白米と味噌汁は食べる、という目標で日々を過ごしました。また、抗がん剤で食欲のないときでも、何故かカップラーメンは食べれるらしい、ということを同じ病室の方達が話しているのを聞き、実際に夜食にミニカップヌードル(カレー味)を食べてみたところ、完食できました。なぜ、カップラーメンなら食べれるのかは謎ですが、これ以降、ミニカップヌードルは入院中の夜食の定番になりました。ただ、白金製剤も投与していたので、腎臓の数値(特にクレアチニン)に超注意しつつでしたが。

いま思うと、聴覚障害もでてました(そういえば医師や看護師に言ってなかった)。この治療のあとのしばらく、耳鳴りのする頻度がこれまでの人生におけるそれと比較して、明らかに高かったです。でも、ESHAPが終わって1ヶ月くらいで治りました。シスプラチンによる聴覚障害は治りにくいと言われていたので治ってよかったです。

腎機能の数値は、結局、一回も正常範囲から外れずに済みました。腎機能障害防止のための水分の点滴が効いたのかもしれません。

あと、髪の毛の抜ける量がABVDのときとは比べものにならないくらい多かったです。

 

 

治療効果ですが、端的に言ってダメでした。ESHAP開始前と終了後のMRI画像と比較して、腫瘍の大きさは10%減くらいでした。救援化学療法の選択肢は他に2つあり、かつ放射線療法も適用かもしれない、という状況だったので、再度ESHAPを試みるよりは別の選択肢を試すのが妥当であろう、ということになり、AVBD、ESHAP、に次ぐピッチャーとして、ICE療法が登板することになりました。

 

 

  1. 救援化学療法とは、標準療法で寛解に至らなかった、あるいは再発してしまった場合に行なう、標準療法とは別の化学療法のことです。今回の私のケースだと、ホジキンリンパ腫の標準療法であるAVBD療法のかわりに別の化学療法をやるよ、ということになりました。この救援化学療法の目的は、もちろん寛解導入なのですが、その先に、自家末梢血幹細胞移植併用大量化学療法、という治療を予定しているものです。自家末梢血幹細胞移植併用大量化学療法とはなんぞや、ということですが、普通なら副作用(主に骨髄抑制)のために投与できない量の抗がん剤を打ち、がん細胞を叩きます。しかし当然ながら甚大な骨髄抑制で血球が回復しなくなってしまいますが、大量の抗がん剤の投与前に採って置いた血を作る元になる細胞(造血幹細胞)を点滴することで、体の中でこれらの元気な造血幹細胞が生着し、増殖、分化し、また血球が増え始めます。「自家末梢」、というのは、「自分の末梢(=骨髄のなかとかではない、そこらへんの血管の中)にでてきた造血幹細胞を使うよ」の意です。
  2. National Comprehensive Cancer Network (NCCN)のVersion 2.2013(日本語訳版)によると、再発・難治性ホジキンリンパ腫の自家末梢血幹細胞移植併用大量化学療法の前に寛解を導入できた場合と出来なかった場合の移植後の5年全生存率は、ある研究データでは66%と17%、別のでは79%と17%となっています。ちなみに、主治医によると、自家末梢血幹細胞移植併用大量化学療法をせず、救援化学療法のみで治療を終えた場合の予後は非常に悪い、ということだったので、この治療をしないという選択肢は自分の中ではなくなりました。