26歳で悪性リンパ腫になった生物系大学院生

混合細胞型ホジキンリンパ腫 (第4頸椎の生検) . 頸椎・腰椎・肩甲骨・腹部リンパ節に散在 (治療前のPET-CT). ABVD4コース時点で第4頸椎以外はPET陰性になるも, 5コース目では第4頸椎が増悪, ESHAPを1コースでSD, ICEを4コースでPR, その後は放射線治療46Gyで自家末梢血幹細胞移植併用大量化学療法になだれ込み, 社会復帰しつつアドセトリス15コース施行. 現在経過観察(2020/04). ~頸椎後方固定したおかげで首が動かせず、物理的に前向きなった(笑)~

入院生活と確定診断まで

不安感の瞬間最大風速 を記録した頃

急遽, 大学病院に入院することになり, そのときはとにかく慌てふためきました. まさか入院して下さいと言われるとは全く思っていませんでした. しかも, 首の骨が折れやすくなっています, と言われ, 首に巻く分厚い布のようなカラー(X JAPANYoshikiさんが付けてるみたいなやつのもっと大きいもの)を渡され, ずっとこれ付けてて下さいと言われました. カラーを付けると重病人としての自覚が強まり, 「あー自分って結構やばいんだー」と思いました. 将来病気になったらどうしようと, 漠然とした且つ当たり前の不安を抱えてこれまでの20数年間生きてきましたが, 20代で入院することになるとは. . . . 何か辛いことがあると, 「地球に隕石落ちて人類滅亡しないかなあ」と思っていたりもしたけど, ただ入院するだけで, オロオロしまくる自分が滑稽でありつつも, それ以上にただただ不安でした.

 この入院時点で, 頸椎の腫れ, つまりは首の腫瘍の正体について, 医師からは「結核等の細菌感染による膿瘍」「がん」の2通りあると言われていて, とにかく生検を取ってみないとわからないから, 準備でき次第, 全身麻酔で首を開けて中の腫瘍を取ってくる, と言われていました. 私はその大がかりな手術と, 来たるべき病理検査(その腫瘍が癌なのか感染によるものなのかを実際に採取した組織で調べる検査)の結果に恐れをなしていました. ああどうか結核でお願いします! と思っていました. というのも, 結核なら抗生物質の投与で数週間の入院で済みますが, 癌の場合はいつ復帰できるか, そもそも生き残れるか微妙な感じになるからです.

 
周囲のサポートの有り難さを実感した

入院初日に実家のある北海道から両親が東京に来てくれました. 最初は, 両親にこっち来てもらっても状況が改善するわけでないし, 両親も共働きだから, 来なくて良いと言っていましたが, 実際に来てもらうと, なんかめちゃくちゃ安心できて, おお両親の安心感すごい, と思いました. 私の病状は改善しませんでしたが, 精神的な安定感は大幅に改善しました. しかも東京在住の叔父夫婦&従妹も何度も通ってくれ, 研究室の先生・先輩・後輩, 高校の友人も次々にお見舞いに来てくれ, 病気で入院中にもかかわらず大変楽しかったです. 箱入りメロンとか超特大ロンギヌスの槍バームクーヘン等のお土産いただきました. 大学病院も建ててからそんなに年数が経過していないからすごく綺麗だし, 整形外科病棟の雰囲気は, 血液内科病棟のヤバさを知った今から考えると, すごく明るかったです. 整形病棟は, 手術は必要だけど, 基本的にどうにか良くなる患者さんが少なくなく, 患者の平均年齢も比較的低くて, 4人部屋で自分入れて3人は20代でした. 同室の人と同年代だと雑談もしやすかった. 病院食も, 少なくとも普段食べている学食よりは美味しかったです.

 
病名告知は正々堂々と一人で受けることになった

そういう感じで意外にも快適な入院生活の中, 人生初の全身麻酔で生検を終えました. 手術から10日くらいたった頃のある日, 叔母と従妹とデイルームで折り紙(カエル飛ばし大会)で遊んでいるところに, 私の主治医チームの中で一番偉い先生が通りかかり, 「生検の結果はもう聞きましたか?」と尋ねてきました. 「まだです」, と答えると, 「ではちょっと来て下さい」, と言われ, 病棟の詰め所近くの診察室のような部屋に連れて行かれ, Hodgkin lymphomaのMixed cellularity, つまりホジキンリンパ腫(混合細胞型)と宣告されたのだった!

癌であることはもはや想定内でしたが, 正面から突きつけられると, なかなかの迫力でした. そのあと病室に戻ると叔母と従妹が帰らずに待っていてくれ, 叔母の友人で若いうちに悪性リンパ腫なった人が今も元気で結婚もしているから君もきっと治るさ, と勇気づけてくれました. 有り難いことです. とはいえ, 癌ならば, そこそこの確率で死ぬし, 抗がん剤を一人で乗り切るのは辛すぎるだろうと考えていたので, 実家近くの病院, つまり札幌の病院に転院することとなりました.

 

20190714

文章校正しました.