悪性リンパ腫で頸椎溶けたことなど。

骨原発なホジキンリンパ腫患者の記録

入院生活と確定診断まで

ブログを書くという行為のまどろっこしさにすでに溺れそう。

でも完全に投げ出すことよりは、少しは有意義だと信じて書くことにする。

 

急遽、大学病院に入院することになって、そのときはとにかく慌てふためいた。まさか入院して下さいと言われるとは全く思っていなかった。しかも、首の骨が折れやすくなっています、と言われ、首に巻く分厚い布のようなカラー(X JAPANYoshikiさんが付けてるみたいなやつのもっと大きいもの。彼の手術が成功したみたいでよかったです)を渡され、ずっとこれ付けてて下さいと言われたもんだ。そのカラーを付けると重病人な感じがでて、あー自分って結構やばいんだー、と思った。将来病気になったらどうしようと、漠然とした且つ当たり前の不安を抱えてこれまでの20数年間生きてきたが、20代で入院することになるとは。何か辛いことがあると、「地球に隕石落ちて人類滅亡しないかなあ」と思っていたりもしたけど、ただ入院するだけで、オロオロしまくる自分が滑稽でありつつも、それ以上にただただ不安だった。

 

この入院時点で、首の腫瘍の正体はいったい何なんだ?ということについて、医師からは「結核等の細菌感染による膿瘍」「がん」の2通りあると言われていて、とにかく生検を取ってみないとわからないから、準備でき次第、全身麻酔で首を開けて中の腫瘍を取ってくる、と言われていた。僕はその大がかりな手術に完全に恐れをなし、かつ、ああどうか結核でお願いします正岡子規様~、と思った。結核なら抗生物質の投与で数週間の入院で済むが、癌の場合はいつ復帰できるか、そもそも生き残れるか微妙な感じになる。あああもうダメだ~、という感じだった。

 

だが、入院初日に両親が東京に来てくれた。実家は北海道。最初は、両親にこっち来てもらっても特に何か用があるわけでないし、両親も共働きだから、来なくて良いと言っていたのだが、実際に来てもらうと、なんかめちゃくちゃ安心できて、おお両親の安心感すごい、と思った。しかも東京在住の叔父夫婦&従妹も何度も通ってくれ、研究室の先生・先輩・後輩、高校の友人も次々にお見舞いに来てくれ、大変楽しかった。箱入りメロンとか超特大ロンギヌスの槍バームクーヘン等のお土産いただきました。大学病院も建ててからそんなに年数が経過していないからすごく綺麗だし、整形外科病棟の雰囲気は、血液内科病棟のヤバさを知った今から考えると、すごく明るかった。整形病棟は、手術は必要だけど、基本的にどうにか良くなる患者さんが少なくなく、患者の平均年齢も比較的低くて、4人部屋で自分入れて3人は20代だった。同室の人と同年代だと雑談もしやすかった。病院食も、少なくとも普段食べている学食よりは美味しかった。

 

そういう感じで意外にも快適な入院生活の中、人生初の全身麻酔で生検を終えた。手術から10日くらいたった頃のある日、叔母と従妹とデイルームで折り紙で遊んでいるところに、僕の主治医チームの中で一番偉い先生が通りかかり、「生検の結果はもう聞きましたか?」と尋ねてきた。「まだです」、と答えると、「ではちょっと来て下さい」、と言われ、病棟の詰め所近くの診察室のような部屋に連れて行かれ、Hodgkin lymphomaのMixed cellularityと言うことを宣告されたのだった。癌であることは読み筋に入ってはいたが、正面から突きつけられると、なかなかの迫力だった。そのあと病室に戻ると叔母と従妹が帰らずに待っていてくれ、叔母の友人で若いうちに悪性リンパ腫なった人が今も元気で結婚もしているから君もきっと治るさ、と勇気づけてくれた。有り難し。とはいえ、癌ならば、無視できない確率で死ぬかもしれないし、抗がん剤を一人で乗り切るのは辛すぎるだろうと考えていたので、実家近くの病院、つまり北海道に転院しようと前から心づもりをし、両親の了解を得ていた。

 

これを公開して意味があるのか自信なくなってきたが、せっかくだから公開します。