悪性リンパ腫で頸椎溶けたことなど。

ABVD療法で治らなかったタイプの20代ホジキンリンパ腫患者の記録

救援化学療法その2 -ICEの副作用と治療効果の途中経過-

ESHAP療法があまり効かなかったので、ICE療法を行なうことになった。

ICEとは、イホマイド(ナイトロジェンマスタードの一種。アルキル化剤。嫌だー)、カルボプラチン(白金製剤)、エトポシド(トポイソメラーゼII阻害剤)の頭文字をつなげたもの。

 

治療期間ですが、ESHAPが5日間だったのに対し、ICEは3日間で少しだけ短かい。これはとてもありがたい。

 

副作用は以下。

残尿感:イホマイドの影響か。一週間くらい。

吐き気:吐くほどではないけど吐き気(治療終了後3日間くらい)

食欲不振:同一週間くらい。

脱毛:眉毛とまつげ以外の全身のあらゆる毛が抜けた。後頭部の髪が無いと、頭を壁にもたせたときに皮膚がぺたぺたするという、新感覚。

腹痛:たぶん腸管粘膜障害。下痢では無いけど4~5回便が出る感じ。

 

治療効果ですが、良かった。ESHAP療法後、3週間1コースのこのICE療法を2コース、入院で行なった。1コース終了時点で喉の腫れてる感はかなり無くなり、レントゲンでも明らかに膨らみは小さくなってた。また、2コース終了時点でのMRIでは、腫瘍は約80%減になってた。このときCRPは久しぶりに0.05未満になった。主治医の先生も嬉しそうだった。母も喜んでくれた。周りのみんなが喜んでくれると、なんだか褒められているような気持ちになる。という束の間の黄昏。

これくらいの治療効果が得られていれば、ICEでの寛解導入も可能であろうという判断で、あと2コースICEを行なうことになった。その後PET-CTの予定。また、自己末梢血幹細胞の採取(アフェレーシス)を、このMRI撮影の1週間後くらいに行なった。アフェレーシスについては、別記事に簡単にまとめようと思う。アフェレーシス前にPET-CTをしていないことについての心配についても書いてみる。

妊孕性保存についての後悔

妊孕性(にんようせい、と読むらしいです)とは、文字通り妊娠のしやすさ(してもらいやすさ)のことを意味します。

 

化学的な抗がん剤は、単にがん組織を攻撃するだけではなく、体のあちこちの組織や器官にダメージを与えます。ダメージは骨髄や消化管上皮などだけではなく、生殖器官にも及びます。つまり、抗がん剤によって妊孕性が失われる可能性がある、ということです。

 

私の後悔とは、「ああ、最初に抗がん剤する前に精子凍結しておくんだった」というものです。

 

当初、ホジキンリンパ腫の標準療法であるABVD療法で治療をしていました。このABVD療法の開始前に、医師からは「あなたのケースならこのABVD療法で9割は治る」ということと、「ABVD療法で男性不妊になることは稀で治療終了後半年ほどで妊孕性は戻る」という説明を受け、それならば特に精子凍結に時間を割かずに治療を開始したほうがいいな、ということになりました。

そのときは自分ががんであるという状況そのものにまだ慣れていなく、自分がABVDで治らない1割のほうになる場合にどうなるのか、ということまで考えが及びませんでした。

 

しかし、実際はABVD治療中に再発しました!

 

再発・難治性ホジキンリンパ腫に対しては、基本的に「救援化学療法での寛解導入」+「自家末梢血幹細胞移植併用大量化学療法」が適用になるのですが、この大量化学療法によって既報によると、男性の場合で妊孕性が維持されるのは0%なようです1)2)(少なくともこの論文ではそう書いてある、ということに過ぎないといえば過ぎないのですが)。

 

実際には救援化学療法前に精子凍結したのですが、ABVDを5コース(10回の抗がん剤投与)した直後だったこともあり、無精子症ないし乏精子症な感じでした(元々、乏精子症だったかもしれないけどそれは調べてないからわからないです)。

 

子どもが欲しい人生だった。

そもそも生き残れるかどうか分からんのにこんなことを思うのは変かもしれないけど。。。。。。しかも未婚。

 

いま振り返ってみれば、妊孕性についてはガイドラインに則った説明をうけ意志決定をしたわけですが、「治療中の再発(=ABVDによる短期的な不妊状態から抜け出していない状態)という不測(?)の事態によって、私は妊孕性をほぼ喪失することになった」と言えると思います。浅はかだったと思います。

とにかく、これから抗がん剤を行なう予定で、将来的に子どもが欲しいかもしれない年齢の男女は、最初の抗がん剤をする前によく考えておいた方が良く、場合によっては何らかの手を打っておいた方がよい、と個人的には思います。

たとえその抗がん剤が、長期的な妊孕性喪失を伴わないもの(ABVDのような)であったとしても、その治療が上手くいかなくなった場合に妊孕性喪失を伴う治療に移行することが想定されうるなら、精子凍結や卵子保存を考えるべきだと思います(医師は初回治療が上手くという希望的観測を排して、上手くいかなかった場合の最悪の想定についても抗がん剤投与前に説明した方がよい気がする)。このレビュー4)とかには、ABVDでの精子凍結はオプションで考えよう、という結論で書かれており、妥当な結論であるとは思いますが、私のような状態になる可能性があることを考慮すると、患者が「子どもが好きである」「将来的に子どもが欲しい」という選好を有しているなら、オプションではなくマストだと考えてよいと思います。

精子卵子の保存は、それが抗がん剤治療による不妊の回避という目的であっても保険の適用外なので3)、お金はかかりますが、それでも考慮する余地はあると思います。

 

 

 

改めて自分が主張することでもないかもしれませんが、上記のように主張したいです。もしかしたら随分偏った意見を述べてしまったかもしれませんが、ご寛恕を乞いたく存じます。

 

 

  1. Socié, G., Salooja, N., Cohen, A., Rovelli, A., Carreras, E., Locasciulli, A., Korthof, Weis J., Levy V., and Tichelli, A. (2003). Nonmalignant late effects after allogeneic stem cell transplantation. Blood, 101(9), 3373-3385.
  2. 自家移植ではなく同種移植の場合の大量化学療法だと17-61%は妊孕性が残るらしいです1)。完全に予想ですが、やはり同種移植だと自家移植に比べて移植片対腫瘍効果が大きいから大量化学療法のシビアさは自家移植に比べて緩く、それによって精巣へのダメージも小さいのかなあ。ちなみに卵巣の場合はこれまた全然数値が異なるので、上記論文1)のTable 3を参照されたい。
  3. そもそも国家って、人間の存続と繁殖のための組織である、と考えると、存続のための手段である医療には手厚い保険制度があるのに、繁殖のための現行唯一の手段である有性生殖が脅かされたときに関する保証が充実していないというのは何故なのだろう。また、精子凍結は10万円未満くらいでできるのに、卵子保存はかなり高額になるのも辛い現実(自治体によっては助成しているところもあるみたいだけど)。
  4. Harel, S., Fermé, C., and Poirot, C. (2011). Management of fertility in patients treated for Hodgkin’s lymphoma. Haematologica, 96(11), 1692-1699.

救援化学療法その1 -ESHAP療法の副作用と治療効果と感想-

5月末に再入院して、救援化学療法1)というものを開始しました。この救援化学療法の成績で5年生存率が40%ほど増減するようです2)

 

医師から、救援化学療法の具体的なレジメンとして採用する可能性のあるものとして3つ挙げられ(ICE、ESHAP、もう一つは何だったか忘れました)、そのうちのESHAPをまず最初に試すことになりました。ESHAPが選ばれた根拠は、3つのなかでESHAPがホジキンリンパ腫に対しては治療成績がよい、という結果の論文ないし報告があったからだそうです。

 

ESHAPはABVDに比べて長かったです。何が長いかと言えば、治療にかかる日数です。ABVDは外来治療だとだいたい4時間とかで終わりますが、ESHAPは5日間も抗がん剤の日々です。気が滅入りますね。しかも、神経障害(特に聴神経)、腎機能障害を起こすことで有名なシスプラチンも含まれています。白金製剤というやつです。腎機能は大事なので、シスプラチンの投与付近はとにかく水を多く飲みました。

 

副作用は、やはり吐き気と食欲不振は不可避でした。ただ、今回もABVDのときと同様に大量に吐き気止めを併用してもらっていたおかげか、実際に吐くことはなかったです。今回は、病院の売店で「のりたま」を買ってごはんに掛け、ごはんを味噌汁に突っ込み、とりあえず、白米と味噌汁は食べる、という目標で日々を過ごしました。また、抗がん剤で食欲のないときでも、何故かカップラーメンは食べれるらしい、ということを同じ病室の方達が話しているのを聞き、実際に夜食にミニカップヌードル(カレー味)を食べてみたところ、完食できました。なぜ、カップラーメンなら食べれるのかは謎ですが、これ以降、ミニカップヌードルは入院中の夜食の定番になりました。ただ、白金製剤も投与していたので、腎臓の数値(特にクレアチニン)に超注意しつつでしたが。

いま思うと、聴覚障害もでてました(そういえば医師や看護師に言ってなかった)。この治療のあとのしばらく、耳鳴りのする頻度がこれまでの人生におけるそれと比較して、明らかに高かったです。でも、ESHAPが終わって1ヶ月くらいで治りました。シスプラチンによる聴覚障害は治りにくいと言われていたので治ってよかったです。

腎機能の数値は、結局、一回も正常範囲から外れずに済みました。腎機能障害防止のための水分の点滴が効いたのかもしれません。

あと、髪の毛の抜ける量がABVDのときとは比べものにならないくらい多かったです。

 

 

治療効果ですが、端的に言ってダメでした。ESHAP開始前と終了後のMRI画像と比較して、腫瘍の大きさは10%減くらいでした。救援化学療法の選択肢は他に2つあり、かつ放射線療法も適用かもしれない、という状況だったので、再度ESHAPを試みるよりは別の選択肢を試すのが妥当であろう、ということになり、AVBD、ESHAP、に次ぐピッチャーとして、ICE療法が登板することになりました。

 

 

  1. 救援化学療法とは、標準療法で寛解に至らなかった、あるいは再発してしまった場合に行なう、標準療法とは別の化学療法のことです。今回の私のケースだと、ホジキンリンパ腫の標準療法であるAVBD療法のかわりに別の化学療法をやるよ、ということになりました。この救援化学療法の目的は、もちろん寛解導入なのですが、その先に、自家末梢血幹細胞移植併用大量化学療法、という治療を予定しているものです。自家末梢血幹細胞移植併用大量化学療法とはなんぞや、ということですが、普通なら副作用(主に骨髄抑制)のために投与できない量の抗がん剤を打ち、がん細胞を叩きます。しかし当然ながら甚大な骨髄抑制で血球が回復しなくなってしまいますが、大量の抗がん剤の投与前に採って置いた血を作る元になる細胞(造血幹細胞)を点滴することで、体の中でこれらの元気な造血幹細胞が生着し、増殖、分化し、また血球が増え始めます。「自家末梢」、というのは、「自分の末梢(=骨髄のなかとかではない、そこらへんの血管の中)にでてきた造血幹細胞を使うよ」の意です。
  2. National Comprehensive Cancer Network (NCCN)のVersion 2.2013(日本語訳版)によると、再発・難治性ホジキンリンパ腫の自家末梢血幹細胞移植併用大量化学療法の前に寛解を導入できた場合と出来なかった場合の移植後の5年全生存率は、ある研究データでは66%と17%、別のでは79%と17%となっています。ちなみに、主治医によると、自家末梢血幹細胞移植併用大量化学療法をせず、救援化学療法のみで治療を終えた場合の予後は非常に悪い、ということだったので、この治療をしないという選択肢は自分の中ではなくなりました。

いろいろ端折りますが現状は・・・

本当は時系列順に記事を書いていこうと思っていたのですが、再入院することになったので、ざっくり現在の状況を書いておこうと思います。

 

東京から実家のある北海道に移ったあと、ホジキンリンパ腫の治療であるABVD療法が開始したのですが、首の骨の状態が悪化して、このままでは全身不随になるということで、頸椎の後方を金属で固定する手術を受け、年末は一人で病室で紅白を見て過ごしました。その後、なんやかんやあって、体重は10kgほどおち、BMIも14台にまでなり、まあまあヤバかったですが、通院治療になってからは食べる量を増やして元通りの体重に回復しました。8回目のABVD治療(つまり、4コース終了時)の中間PET-CTで、全身に存在していた転移は全部消失していましたが、第4頸椎の近くに陽性反応がありました。この陽性反応については、このPET-CTを撮影する1ヶ月くらい前の40度くらいの熱が1週間くらい続いたときの炎症の残りの水分の貯留という診断が最初つきましたが、1ヶ月後にMRIを撮った際に水ではなく腫瘍であるらしいことがわかり、おそらくABVD耐性細胞が増えた物であるらしいと言うことになり、ABVDは中止して、詳細未定ですが、強化療法あるいは大量化学療法併用末梢血自己幹細胞移植などの作戦変更する運びとなりました。本当は組織化学的に生検とるのが筋ですが、第4頸椎の近くという場所が場所だけに、生検とるには全身麻酔で首を開けることになり、そうするとそれだけで治療が1ヶ月弱遅れることになるから、この腫瘍はホジキンリンパ腫の残存腫瘍であると決め打ちする予定です。

 

思えばABVD療法は楽な治療だった。2週間で1回の治療、というペースなのですが、確かに5日くらいは気持ち悪いけど、残りの9日は快適に入院ないし実家生活をエンジョイできたからなあ。。。副作用も吐き気と髪の毛ぬけるくらいだったし。味覚障害とか爪の変質とか無視できるレベルだったし。

治療して治すことが大事なのはわかっているが、これまでのように呑気に副作用をやり過ごせなくなることが怖い。とりあえず造精能の廃絶が不可避なのは子ども好きとしては、はぁ~、という感じ。そもそも結婚できないだろうかもしれんが。

 

とりあえず副作用をのらりくらりとやり過ごすことに全力を尽くそう。

 

語尾が丁寧語から常態に移り変わっていくのが精神の不安定さをよく表している気がしたので直さずにそのままアップロードしておく。

入院生活と確定診断まで

ブログを書くという行為のまどろっこしさにすでに溺れそう。

でも完全に投げ出すことよりは、少しは有意義だと信じて書くことにする。

 

急遽、大学病院に入院することになって、そのときはとにかく慌てふためいた。まさか入院して下さいと言われるとは全く思っていなかった。しかも、首の骨が折れやすくなっています、と言われ、首に巻く分厚い布のようなカラー(X JAPANYoshikiさんが付けてるみたいなやつのもっと大きいもの。彼の手術が成功したみたいでよかったです)を渡され、ずっとこれ付けてて下さいと言われたもんだ。そのカラーを付けると重病人な感じがでて、あー自分って結構やばいんだー、と思った。将来病気になったらどうしようと、漠然とした且つ当たり前の不安を抱えてこれまでの20数年間生きてきたが、20代で入院することになるとは。何か辛いことがあると、「地球に隕石落ちて人類滅亡しないかなあ」と思っていたりもしたけど、ただ入院するだけで、オロオロしまくる自分が滑稽でありつつも、それ以上にただただ不安だった。

 

この入院時点で、首の腫瘍の正体はいったい何なんだ?ということについて、医師からは「結核等の細菌感染による膿瘍」「がん」の2通りあると言われていて、とにかく生検を取ってみないとわからないから、準備でき次第、全身麻酔で首を開けて中の腫瘍を取ってくる、と言われていた。僕はその大がかりな手術に完全に恐れをなし、かつ、ああどうか結核でお願いします正岡子規様~、と思った。結核なら抗生物質の投与で数週間の入院で済むが、癌の場合はいつ復帰できるか、そもそも生き残れるか微妙な感じになる。あああもうダメだ~、という感じだった。

 

だが、入院初日に両親が東京に来てくれた。実家は北海道。最初は、両親にこっち来てもらっても特に何か用があるわけでないし、両親も共働きだから、来なくて良いと言っていたのだが、実際に来てもらうと、なんかめちゃくちゃ安心できて、おお両親の安心感すごい、と思った。しかも東京在住の叔父夫婦&従妹も何度も通ってくれ、研究室の先生・先輩・後輩、高校の友人も次々にお見舞いに来てくれ、大変楽しかった。箱入りメロンとか超特大ロンギヌスの槍バームクーヘン等のお土産いただきました。大学病院も建ててからそんなに年数が経過していないからすごく綺麗だし、整形外科病棟の雰囲気は、血液内科病棟のヤバさを知った今から考えると、すごく明るかった。整形病棟は、手術は必要だけど、基本的にどうにか良くなる患者さんが少なくなく、患者の平均年齢も比較的低くて、4人部屋で自分入れて3人は20代だった。同室の人と同年代だと雑談もしやすかった。病院食も、少なくとも普段食べている学食よりは美味しかった。

 

そういう感じで意外にも快適な入院生活の中、人生初の全身麻酔で生検を終えた。手術から10日くらいたった頃のある日、叔母と従妹とデイルームで折り紙で遊んでいるところに、僕の主治医チームの中で一番偉い先生が通りかかり、「生検の結果はもう聞きましたか?」と尋ねてきた。「まだです」、と答えると、「ではちょっと来て下さい」、と言われ、病棟の詰め所近くの診察室のような部屋に連れて行かれ、Hodgkin lymphomaのMixed cellularityと言うことを宣告されたのだった。癌であることは読み筋に入ってはいたが、正面から突きつけられると、なかなかの迫力だった。そのあと病室に戻ると叔母と従妹が帰らずに待っていてくれ、叔母の友人で若いうちに悪性リンパ腫なった人が今も元気で結婚もしているから君もきっと治るさ、と勇気づけてくれた。有り難し。とはいえ、癌ならば、無視できない確率で死ぬかもしれないし、抗がん剤を一人で乗り切るのは辛すぎるだろうと考えていたので、実家近くの病院、つまり北海道に転院しようと前から心づもりをし、両親の了解を得ていた。

 

これを公開して意味があるのか自信なくなってきたが、せっかくだから公開します。

発覚までの経緯(長文注意!)

2016年の春頃から、物を飲み込んだときに喉に違和感を覚えるようになった。特に、喉ごしが良いはずのビール(3のとかでないやつ)ですら喉ごしが悪くなったなあ、と思っていた。しかしながら、その頃はそれ以外の症状は無く、普通に生活をしてた。

 

2016年の9月の学会の終わりとともに、明らかに「これはおかしいぜ」と思える症状が発生する。具体的には、首と肩の激痛で寝ている間に目覚める、夜になると38度台の発熱&翌朝に解熱、かゆくもないのにミミズ腫れみたいなのが腕とかにできる、等。

このころ(2016/9-11)の対処法としては、首と肩の激痛はロキソニンでなんとか凌ぐ感じ。発熱が翌朝まで引かないときは研究室を休み、夕方早い時間に発熱しては研究室を早退していた。このころは具合が悪すぎてほとんどまともに研究できていなかった。

 

もはや自力では治せまいと思い、病院へ行った。当初は、首や肩が痛いのと、38度台の熱は無関係だと思っていたので、それぞれ整形外科と内科にかかっていた。

整形外科では、漢方と筋肉を柔らかくするための薬がでて、医師は「筋肉が足りないから痛いんですよ」と言っていた。運動が足りない、とも言われ、そのためランニングを何回かした。首と肩は全く良くならなかった。

内科では、血液検査の結果、CRPが高いから恐らく細菌感染だろうということになり、抗生剤を処方され、1週間服用し続けるも良くならず、別の抗生剤に変更になるも良くならず、38度台は続き、肺炎を疑われCTを撮ったが肺はきれいで、よくわからん、となって、大学病院に紹介状をもらう。

 

その大学病院の内科では、血液培養もしたが特に何も検出されず、高熱の原因を突き止めることが出来なかった。3回目くらいの診察の時に、医師が「内科的にはもう調べることがない。首が痛いと言っていたから、うちの大学病院の整形外科の先生に見てもらおう」ということになり、そこで撮ったレントゲンで頸椎の周りが腫れているっぽいことがわかり、その夜に別の病院でMRIを撮ることになった。翌日に整形外科病棟に入院した。

患者情報

基本スペック

 

26歳

男性

未婚

大学院博士課程に在籍

専門は生物系

 

この記事にこれ以上に書くべきことを思いつけないので終了。

広告を非表示にする